これまでの歩み
これまでの歩み
楠野製作所が大阪の下町に工房を構えて40年以上が経ちます。
「スマートボール」等、ファミリー向けの小型遊戯機の製作から始まった楠野製作所ですが、「他に例を見ないクレー ンゲームを作るメーカー」に至るまでの道のりは、山あり谷あり。
決して平坦ではありませんでした。
ここでは、創業から現在に至るまでの当社の歴史を、二代目代表・楠野博美がご案内します。
激動の時代からモノが溢れる時代へ。その頃あなたは何をしていたでしょうか?
大阪市西成区にて「楠野製作所」を構える。
初代社長が従業員1名と共に、ファミリー向けの遊戯機として「パチンコ機」や「スマートボール機」を製作することでスタートを切った。当時としては「売り上げの中から15万円取れれば、家族が1ヶ月暮らしていけた。」と社長は語っていた。
スマートボールには決まった球数で勝負するビンゴ系のような滞留式と、出球がどんどん自動配給される循環式があるが、その両方を当社は製造していた。
パチンコ機は営業店のパチンコ台のお下がりを仕入れ、中身を取り外した外枠に独自の、手作りの盤面をはめ込み、遊園地に販売した。全てが電気を使わない自動循環式であった。
また今の時代としては考えられないことだが、「スマートボール機」も「パチンコ機」も全てバランス仕掛けで電気を使用していなかった。電気は注文に応じて音やランプに使ったぐらいであった。